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久下公民館(くげこうみんかん)

更新日:2024年5月2日

施設概要

久下公民館は昭和46年に建設された、鉄骨2階建ての施設です。
部屋は、ホール、和室、会議室があり、生涯教育・社会教育活動に利用可能な施設です。
久下公民館の大きな行事は、敬老会、運動会、学習発表会、七福神めぐりの四つです。また、学級講座を年12回開催し、これらの事業を実施するにあたり、専門部として広報部・体育部・文化部・女性部を組織しています。

対象区域

久下、新川、久下一丁目、久下二丁目、久下三丁目、久下四丁目、佐谷田の一部

ホール設備

舞台、照明設備、アップライトピアノ

駐車場

20台

公民館事業

七福神巡り

地区内外の人々が参加し、荒川堤上に、各地区毎に500メートル程の間隔で安置した七福神を巡り歩きます。風と語り、友と語り、笑顔の七福神と語るものです。歩いて健康、人と語ることによって人との輪も広がり、子供たちも豊かな心を育てることができます。七福神をめぐり終えたら、公民館に集合し、アトラクション、福引等を楽しみます。この事業は、平成30年に、埼玉教育ふれあい賞を受賞しています。

いきいきすこやか講座

地域住民として健康で豊かな生活を送るための認識を深めることを学習テーマとして、年12回、旬の夏野菜の話、誤嚥性肺炎と歯、介護保険等それぞれのテーマ毎に講義、館外バス研修、初笑い等を実施しています。

休館日およびご利用できない日

  • 12月28日から翌年1月4日まで。
  • その他、管理上、特に必要があると認めたとき。

所在地

熊谷市久下1434番地2

電話等

電話番号

048-521-0780

ファクス番号

048-526-2028

使用料

久下公民館使用料
部屋名 面積(平方メートル) 午前使用料(9時から12時) 午後使用料(13時から17時) 夜間使用料(18時から22時)
ホール 84 520円 730円 1,050円
会議室 42 420円 520円 730円
和室 46 420円 520円 730円

熊谷市、深谷市または寄居町に居住または通勤もしくは通学をしている者以外の者が利用する場合の使用料は、規定の使用料の額の100分の150に相当する額を納入いただきます。

「久下」地域について

地名の由来

久下(くげ)

3つの説が推測されています。
1.文武天皇の世の701年に大宝律令によって定められた土地制度で、国内の国、郡の各地に国司、郡司、里長が置かれました。郡司のいる郡役所を郡家と言い、訓読みでは「コオリノミヤケ」、音読みで「クゲ」「グウケ」と読んだことから転じて、郡家の所在地を久下と書くようになった。
2.「崩漬」を意味する古語である「クケ」とは、水が漏って貫けるとの意味で、荒川が洪水のため堤が決壊ししたことから、その決壊した氾濫地域にこの名が付けられた。
3.アイヌ語で「クケイ(Kukei)」は、川場で魚をとる場所を意味することから、荒川のそばで川魚がよく取れたためこの名が生じた。

新川(しんかわ)

寛永6年(1639)伊奈備前守忠治は、久下新川地先から小八林こやつばやしに至る荒川の新しい川を開削しました。明治7年(1875)下久下、江川の両村が合併した際、上記の新しい川にちなんで新しい村名に命名された。

久下村合併記念碑(くげむらがっぺいきねんひ)

久下神社境内に建てられているこの碑は、昭和16年に大字久下字前原が北足立郡吹上町に、それ以外の地域は熊谷市に編入されたことを記念して建てられたものです。高さは198.7センチメートル、幅は102.5センチメートル。
碑文には「村会は4月1日を期し本村の大部分を熊谷市へ一部前原を地理的に且日常の交際を考慮して北足立郡吹上町へ分割編入を議決同年4月10日庫其筋の許可を得て発展的解散を遂げたり慈の其概要を刻して後日の記念とす」と刻まれています。
せんは久下村長黒澤定四朗、書は舞原撰一

舞原撰一(1883-1953):秦村(現熊谷市)出身。奥原晴湖門人。舞原家は、画家3代続いた家で、祖父耕雲は寺門静軒に師事し、書を中村雪城、画を山崎薫に学ぶ。父松潭は、画を耕雲に学び、奥原静湖と親交を結ぶ。撰一は、幼少より奥原静湖の教えを受け、晴雲と号したが、静湖が晩年になって「東海」の号に飽きたと言うのを聞き、許しを得て舞原東海と改めた。その後東海は実業界に入り、熊谷製糸の常務取締役、秦村村長、信用組合長などの要職に就き、余暇を書画の道に親しんだ。

久下村道路元標(くげむらどうろげんぴょう)

久下地内の旧中山道脇の旧久下役場跡に設置されています。花崗岩製。

道路元標:道路の起終点を示す標識で、明治44年に、現在の日本橋が架けられたとき、「東京市道道路元標」が設置され、大正6年の旧道路法で各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされた。

権八地蔵(ごんぱちじぞう)

この地蔵は、元禄11年(1698)造立されたもので、江戸時代に平井権八の物語と結びつけた「物言い地蔵」として有名です。
物言い地蔵:江戸時代、江戸から中仙道を進んでいた平井権八が、久下堤で信州の商人に遭遇し、その商人の持金を奪って殺してしまった。ふと傍を見ると石地蔵が立っていることに気づいた。権八に良心がよみがえったか地蔵に向かって「このことは、誰に言ってくれるな」と、地蔵は「我は言わぬがなんじ言うな」と口をきいたという逸話いつわが言い伝えられています。熊谷市指定有形民俗文化財。
所在地:熊谷市久下2342番地5

荒川決潰碑(あらかわけっかいひ)

荒川左岸の堤防上に建てられているこの碑は、昭和22年のカスリーン台風による洪水のため、熊谷市久下地先のこの地点で荒川の濁流だくりゅうが堤防を越えて決壊けっかいしたことを示すため、昭和33年に建立されました。

ムサシトミヨ

ムサシトミヨは、世界で熊谷にのみ生息するトゲウオ科の淡水魚です。オスが水草で小鳥のような巣を作り、子育てをする珍しい魚です。水草が良く茂り、冷たくきれいな川で生活します。
以前は、県内や東京都西部にもすんでいましたが、地下水の枯渇こかつや川の汚れが進むにつれ、今では熊谷の元荒川上流の一部にしかすめなくなってしまいました。
ムサシトミヨは、埼玉県のシンボルとして平成3年11月に「県の魚」に選ばれ、「外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。元荒川ムサシトミヨ生息地(外部サイト)」として埼玉県指定記念物天然記念物に指定されました。また、ムサシトミヨを絶滅の危機から守るため、平成12年12月に県内希少野生動植物種に指定されました。

熊谷新八景『久下橋芙峰』

熊谷新八景久下橋芙峰の画

久下方向から大里側に見える冬の富士を詠んだもの。
久下橋芙峰
荒河冬日凛寒光
玉欄長橋上霜
遠景仙姿憐野興
霊峰佳恵似呈祥
(大意)
冬日の荒川は、寒光は凛として
長橋の美しい欄干は一面霜で覆われている
遠くにかすむ仙境は、野興と共に愛着さえ感じ
美しい白銀の富士の姿は、まさに吉祥を呈しているようだ

地域の伝説

公民館だより

令和6年度

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令和5年度

令和4年度

令和3年度

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中央公民館
電話:048-523-0895(直通) ファクス:048-523-0896

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